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私が国政に挑戦する理由へ 上原ひろ子の考え方ヘ 国立市長としての8年
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生活クラブ、国立市議、国立市長を経て、
この度、参議院選挙への挑戦を表明された上原ひろ子さんに、
お話をお聞きしました。


―上原さんの政治活動の原点を教えてください。

上 原
 私は、生活クラブ(注1)というところで、79年から地区の委員として、86年から、北多摩二区グループの生活者代表として活動していました。当時は政治活動というよりは、生活協同組合を中心にした、環境や食品について勉強し考える小さな市民グループでした。その頃は、都議会ですら市民が政治参加していくのは、難しかったのです。そこで89年に、生活クラブの理事をしていた池田敦子さんを都議会選に擁立し、当選させました。ただし都議会に送り込んだらそれでおしまいというわけではなく、市民側もずっと一緒に運動をやっていかなくては意味がありません。そこで、私は東京・生活者ネットワークの初代代表になりました。

 実は「生活者の政治」という言葉を使ったのは、私たちが最初です。「生活クラブ」から政治参加していく、すなわち政治に生活者の視点を持ち込むことは、意味があったと思います。普通の人でも政治参加出来るんだ、というように、政治をひらいていった、その役割は大きかったと思っています。

当時を振り返ると、食品の安全や水の汚染問題、原発の問題、それらを一緒に取り組んできた仲間が、都議会の法律などを決める側にいる、というのは、とても大きかった。だから国会においても、全国各地で頑張っている市民の窓口にきちんとなれる議員がいるということは、市民にとって心強いことです。逆に言えば、そういった窓口を持っていないと、なかなか運動を続けていくのは、しんどいことです。無力感に押しつぶされてしまいます。


(注1)「生活クラブ」生活協同組合の一つ。約40年前、牛乳の協同購入からスター ト。その後、生協運動を基盤した地域政党「グループ生活者」が誕生。上原さん は、「東京・生活者ネットワーク」の代表を1989年から1990年まで務める。



―そんな市民派の上原さんが、なぜ今回は社民党から参議院に挑戦を?

上 原
 残念ながら、日本の今の選挙制度のもとでは、市民がよほど大きな力を持たないと、経済的にも組織的にも国会議員になるのは、難しいという現実があります。

 だから国政選挙の時は、政党と市民グループが連携をして闘おう、平和という観点から一致する候補者を出そうという目的で、昨年の7月7日に「07参院選平和の共同候補を求めて」と題した集会を持ったのだけれども、結局、選挙が近づくと、政党と市民、双方のエゴが出て、ダメになってしまった。
 組織的に弱い人は政党のバックアップが必要だし、政党も市民との連携が大切だと、お互いに思っているはずなのに、選挙になるとうまくいかない。つまらないことで、つぶし合いをするというパターンが現実にはあります。
 しかしそうではなくて、何が今最も問題なのか、きちんと目標を共有して闘わなくてはならない。そのためには、誰かがコーディネートしていかなければならないと、強く思いました。

 政党に帰属するということについては、正直、身体がまだ馴染まないところがあります。私自身に違和感があるわけだから、まわりの人は、なんで?と当然思うでしょうね。
 でも私は、一緒の考えの人とは、どことでもやる、というスタンスでいます。 特に9条の問題については、考え方が近い人とどんどん連携していけばいい。私はそういう意味では、政党という枠組みには固執していませんし、市民派としてこれまでやってきたわけだから、その役割を担えると思っています。
 もし今が、まだ平和な世の中だったら、私もこんなに焦っていないかもしれません。でも今は、憲法改正、9条の問題があるでしょう。どんどん右傾化がすすみ、9条を守る党が共産党一党だけになってしまって、いいんですか? 社民党が無くなってしまっていいのですか? と問いたいのです。

 


―では、市民とどう連携していくのか?

上 原
 今のままだと、圧倒的な勢力を持つ与党によって、何でもかんでも、数の論理だけで、十分な話し合いもないままどんどん議会で決められてしまう。もはや、民主主義とは言えない状況です。
 しかし今、小さな野党の議員たちは、委員会をいくつもかけ持ちをして、与党の暴走を止める質問をするために、日々準備や勉強を必死になってしています。秘書やスタッフも調べ物で大忙し。みんなフル回転していてまったく余裕のない状況です。物理的に議員の数が少なすぎます。
 だから市民の側に立ってがんばれる国会議員が一人でも増えないと。でもそれも、議員とその秘書だけでは、限度があります。だから、環境の問題や平和の問題については、市民グループでもうんと勉強をして論理的な手法でやっている人たちやグループはいますから、そういうところと連携してやれないか、と考えています。市民も議員への陳情誓願だけでなく、力をつけて議員と政策会議を一緒にやるというようなテーブルを作りたい。
 やはり、自分たちの窓口が、議会にいる、国会にいる、というのは、がんばっている市民にとって、非常に心強いものです。国会に仲間がいる、というのは、これは明らかに違う。

 


―社民党のイメージチェンジについて、お聞かせください。上原さんは党名を変えたいそうですが?

上 原
 社会民主党という名前にこだわりたい、という方はたくさんいるでしょう。その気持ちはわかりますけれど・・・。ただ名前について、国民からマイナスのイメージを持たれているのなら、やはりそこは変えた方がいいと思う。名前よりも大切なのは、中身ですから。名前を変えても、その核となる精神さえ失わなければいいのでは、と思います。
 環境問題、平和運動などを推奨する市民運動が結びついたドイツにおける緑の党(注2)は、一頃の勢いは失っていますが、それでもドイツの戦後の歴史には、大きな影響力を残しました。私がドイツに行った時、感激したのは、緑の党成立について、戦後復興の博物館の中に1つのコーナーとして設置してあったこと。
 つまり、戦後史の中の重要な出来事として位置づけられているということです。残念ながら日本には、まだそういった党はないですよね。誕生が待たれて久しいと思うのですが。社民党は、ドイツの緑の党のような役割も含めて、もっとウイングを広げ柔軟な党になるべきだし、私ならそのコーディネート役ができると思っています。


(注2)「ドイツ緑の党」1970年頃、西ドイツで設立。反原発、反軍国主義、循環 型生活推進、などを掲げている。1998年から2005年までは、主党と連立政権 を組み、閣僚も送り込み、自然エネルギー活用を推し進めた。


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